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写真集◎小栗香織『十一年後』|2000年新潮社発行*初版|全裸フォト|ヘア露出オールヌード|透け下着FIT|情事のあとさき|VC-9260の商品情報

写真集◎小栗香織『十一年後』|2000年新潮社発行*初版|全裸フォト|ヘア露出オールヌード|透け下着FIT|情事のあとさき|VC-9260はYahoo!オークション(旧ヤフオク!)でJv-ldoyH_s_Qxによって出品され、29件の入札を集めて6月 16日 22時53分に落札されました。この商品が含まれているアイドル、タレントは写真集の下にあるカテゴリです。写真集、小栗香織『十一年後』|2000年新潮社発行、初版|全裸フォト|ヘア露出オールヌード|透け下着FIT|情事のあとさき|VC-9260などのタグの付けられた商品です。
カテゴリパス:
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※商品画像に関しましてはYahoo!オークション(旧ヤフオク!)のページをご覧ください

  • 落札価格:
    1,000
  • サイト:
    Yahoo!オークション(旧ヤフオク!)
  • 残り時間:
    終了 
  • 入札件数:
    29
  • 開始価格
    330 円 
  • 数量
    1
    商品状態
    やや傷や汚れあり
  • 開始日時
    6月 11日 04時43分
    終了日時
    6月 16日 22時53分
  • オークションID
    w1054243153

出品者情報 |評価コメント

  • 出品者
    Jv-ldoyH_s_Qx
  • 総合評価
    166
  • 出品者地域
    東京都
懐かしのセクシー女優

商品説明

【ご案内】
◎小栗香織写真集『十一年後』|VC-9260
著者=小栗香織 (文)
沢渡朔 (写真)

*この本はジャケットを纏わない装幀です。

*モノクロ写真主体のフォトブックです。

[状態]
長期にわたって書庫に収庫している本ですが、比較的良好なコンディションです。エッジが白地となるページの小口には経時のごくうすいヤケが見られますが、印刷画質は劣化しておらず、写真面のインクにはツヤがあります。紙質に関しても、検品のため一、二度開いただけですので、目立つシワや披覧癖はなく良好な状態です。

【検品情報】
[瑕疵・註 = 懸念事項]
◆白地ページ=小口三方>ごくうすいヤケ
◆表紙=白地エッジ>ごくうすいヤケ

[造本仕様]
製本=ソフトカバー*かがり平綴じ(糸目・幅広)|表紙=PP光沢コーティング|表1がんだれ=PP光沢コーティング|ジャケット非装デザイン|中身=コート紙*中厚口(標準厚)|表題=エンボス加工|外寸・天地x左右x束=240x162x10mm *B5小変型 左綴じ洋開き

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[関連ワード]
タレント写真集
ネイキッド 全裸
ヘア露出オールヌード
沢渡ワールド
リアルフォト
情事のあとさき
ワンピース水着FIT
BEAUTEYくびれBODY
透け下着フィット
求愛フェイス
ある女の写真記録
肉体表現 時間絵巻
アーカイブ 変遷
フォトアーカイブ

   ------ ----- -----

*品物の状態などにご不明な点がございましたら、お気軽にご質問ください。
*なお、掲載写真・記事の具体的な内容に関するご質問には、お答えできない場合が多々ございます。ご了承ください。

———《出品概要》———

【お支払いに関して】
お支払いはご落札後48時間以内にお願いします。遅くなる場合にはご連絡ねがいます。期限内にお支払のない場合には、再出品のためやむを得ず削除しなければなりません。評価に影響しますが、ご理解ください。

【いたずら入札防止および処理】
新しく登録されたID(評価0)の方から、いたずら入札が繰り返されるため、遺憾ながら評価0の方とのお取引をお断りいたします。新規の方には失礼ですが、評価0で入札された場合は[取消し]、落札に至った場合には[落札者の都合により削除]いたします。なにとぞご理解ください。

【付属品】
----帯・腰巻について----
外装の帯・腰巻は、品物に必須な付属アイテムと考えておりませんので、その状態説明・付属の有無は省きます。
但し、特殊な装幀・製本加工の場合には、必須アイテムと考え、本体の一部と判断いたします。
*ジャケットに一部糊づけされた帯・腰巻
*本体の50%以上の大きさの帯・腰巻
*製本に絡む帯・腰巻

【記載内容】
---関連ワード・余事記載について---
関連ワードの表記は、品物のカテゴリ、発行時期、出版背景、商品イメージなどを記しております。
余事記載に関しましては、奥付の掲載内容、コンテンツ、諸ページのテクストを追記しております。
品物の状態、ご購入のお手続きに関する内容は含まれていませんので、ご参考程度にご覧ください。

【梱包・発送】
----印刷物のクレンジング----
外装のクリーニングは摩擦傷・酸化・紙質の変化などの懸念から、微細繊維などでの簡易清拭処理を一律と致しております。防水対策として梱包内袋にポリプロピレン等を使用します。

----取引成立後の諸事----
中古品ですので、ご返品はお受けできません。ご了承の上お求めください。
運送による破損などを適切に処理するため、到着後はできるだけ早くご開梱ねがいます。
検品は入念におこなっておりますが、細緻に至らない点もございます。微細な観点からの苦情は、なにとぞお赦し願います。

いたらない点もございますが、よろしくお願い申し上げます。

   ------ ----- -----

【余事記載◎インプリント/コンテンツ/テクスト】
      = 品物の状態、ご購入のお手続きに関する内容は含まれていません。

[奥付]
小栗香織十一年後
発行:2000年 2月14日
著者:小栗香織 (文)
沢渡朔 (写真)
発行者:佐藤隆信
発行所:株式会社新潮社
    〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
振替 00140-5-808
印刷所:凸版印刷株式会社
製本所:加藤製本株式会社

[スタッフ表記]
photographs
HAJIME SAWATARI
art direction
KANTA SEZAKI
printing direction
HIROYUKI KOUSHU
styling
MOUSE
hair & make up
YOSHI HIROSE
SACHIKO OSHIMA
produce
KAORI OGURI

photographs offering
TATUO WATANABE
KOUKI NISHIDA
love special thanks
TOMIKI SUGIMURA
IWATA
YOU(CAT)
essay
KAORI OGURI
Costume
TOCO PACIFIC

[essay 抜粋]
幼い頃人魚になって・・・月まで泳ぎたかった。

CHIGASAKI
私の生れ育った街 . . . 茅ヶ崎。
潮風の匂いがして、
波音が聴こえる。
いつも、近くに海があった。
ずーっとつづく、 海岸道路。
夜には、たくさんの星が見える。
小さい頃から、 浜辺で遊んだ。
あの頃の写真は、 海での写真ばかり。
何かあれば、 海へ行って、
ぼーっとしたり、 叫んだり、
夜中に一人で、 流れ星を見に行ったり、
一年中ビーチサンダルのサーファーと遊んだり
私の大好きなサザンの曲を
聴きながら成長していった。
のんびりと過ぎていく、
この街の時間が好き。
いいことも、悪いことも
いっぱいつまったこの街に、
私は愛着がある。

はじめて恋をしたのは、 中学2年のとき。
ーつ上の先輩で、バスケット部の人気者だった。
藤井フミヤ似の、 背はあまり高くはないけれど、
短ランを着ていて、
その内側が赤と黒のタータンチェック、
ちょっと変わった学生服を着ていたおしゃれな人。
私のひと目ぼれだった。
友達と先輩のクラスに行って、のぞいてみたり、
クラブ活動をしているとこに行ったりして、
廊下ですれちがったり、目が合ったりすると、
ドキドキしていた。
はじめて声をかけられたときは、一言も答えられなかった。
それからしばらくして、私のほうから告白した。
そして、すぐに告白を受けてくれた。
びっくりした。
つきあうようになったけれど、
最初は、先輩、後輩のような感じだった。
一緒に帰ったり、お互いのクラスに行ったり、来たり、
先輩の自転車の後ろに乗って、
ーつのマフラーを二人で首にまいて、
海岸のサイクリングロードを走ったりして、
青春してた。
学校では、少しつっぱってたけれど、
根がまじめな人で、
ー緒に遊んでも、タ食の時間には必ず私を帰らせる、
やさしいお兄さんのような人だった。
ファーストキスは、クラスの男の子と遊んでいるとき、
むりやりされてしまって、
先輩とは、つきあった年の夏祭りの夜の一度だけだった。
先輩が卒業して、自然と別れてしまった。
でも、卒業のとき、第二ボタンは私にくれた。
とてもうれしかった。
そして、すごく悲しかった。
ユーミンの「あの日に帰りたい」の曲を聴きながら、
二人の写真を破った。
はじめての恋で、いっぱいいっぱい泣いた。

15歳になって、恋愛をした。
7歳年上の大学生。
彼は、海岸通りにある和食屋さんで働いていて、
そこで知り合った。
勉強を教えてくれたり、彼の友達といっしょにドライブに
連れていってくれたり、
最初は、お兄さんのような、関係だった。
何度か会っているうちに、自然につきあうようになって、
みんなでドライブしていたのが、
二人でいくようになって、
妹だったのが、彼女になった。
いろいろな所に連れていってくれて、
スキーも初めて覚えた。
何もかもが、好奇心でいっぱいだった。
彼に合わせようと、洋服も大人っぽいものを選んで、
一所懸命、背伸びをしていた。
初めて、彼と結ばれるとき、
彼の家でレコードを聴きながら、
突然、会話がとぎれて、
彼にリードされながら抱かれた。
高校生になって、
学校より、友達より、全てが彼だった。
すごく結婚にあこがれて、早く結婚したかった。
でも、彼は卒業後の就職のことで、 頭がいっぱいだったし、
高校生の私とは、まだ考えられなかったみたいだった。
私はどんどん結婚願望が強くなっていった。
そんな私に、
「俺以外にも、夢中になれる事を見つけろ」と彼は言った。
彼一筋だったから、ショックだった。
高校3年生の秋。
彼との関係がマンネリ化してきたころ、
休みの日に一人で横浜の街に出かけた。
何かを買う予定もなく、ブラブラと歩いていたら、
背の高いスーツ姿の若い男の人に声をかけられた。
その人は名刺を差し出して、
「もしタレントに興味があったら、 電話下さい」と言った。
私はその場を逃げるように去った。
家に帰ろうと思って、駅の公衆電話から親に電話した。
帰宅して数時間後、あの声をかけてきた男の人から
自宅に電話があった。 突然で、ビックリした。
何で電話番号がわかったのか聞くと、
私が駅で電話しているときに、 後ろに立って、
番号を暗記したと言う。
「もう一度、 話を聞いて欲しいし、プロダクションの社長に会って欲しい」。
だんだん、彼の熱意に引き込まれていった。
私は2日後、
電話して社長に会うことにした。
彼のこと、学校のことで悩んでいたときだったので、
自分の中で、ちょっとは期待というか、
「これで何か見つかるかもしれない」
という気持ちがあったのかもしれない。
数日後、横浜で、
プロダクションの社長と会った。
その人は女性で、美人で、若い社長さんだった。
何か不思議と不安感はなかった。
それからすぐ、写真集のプロデューサーに会った。
全身真っ黒な服装で、クールな感じで、こわそうな人だった
顔合わせをしただけで、
数日後、グラビアの撮影が決まって、
あっという間に話が進んだ。
初めての撮影の日を迎えることになった。
何もわからない不安と、期待をかかえながら、
ヘアメークさんに髪の毛を切ってもらい、パーマをかけ、
スタイリストさんがたくさん、
かわいい洋服を着せてくれる。
スタッフのみんながやさしくて、
カメラマンもとてもやさしいひとだったので、
緊張したけれど、楽しかった。
その後もどんどんグラビアの仕事が決まり、
水着を着たり、いろんな所に行ったりした。
写真集も決まって、初めての海外にも行った。
まだ何もわからないまま、
私の周りはどんどん進んでいった。
そんな私に、スカウトしたあの彼が、
突然、プロポーズしてきた。
私にはつきあっている彼がいたし、
スカウトした彼にそういう気持ちはなかったから、断った。
高校を卒業して、仕事が楽しくなり、
仕事のスタッフと一緒にいる時間が多くなっていく。
スカウトされたとき、
つきあっていた彼とは「一年間だけ」と約束した。
でも、彼のことより夢中になれることが、
見つかったんだなと、
昔彼に言われた言葉を思い出した。
彼との約束を果たさず、実家をはなれて、
ヨコハマのプロダクションの社長の家に住むことになった。
その後、彼の方が結婚を意識しはじめて、
仕事をやめてほしいと言われた。
その時はもう、仕事が楽しくて、
事務所の人たちといるのが楽しくて、
そういう気持ちにはなれなかった。
スカウトされてから、私の中の何かが変わっていった。
彼は何度も会いに来たり、
電話をしてきたりしたけれど、
私は会わずに、別れることを決めた。
ほんの一年前、
「絶対、この人と結婚するんだ」と思っていたのに、
たった一日のことが、私の運命を変えた。

港から吹く風
坂道を上がったいつもの場所
中華街で手をつないで
恋に踊らせて
観覧車でキスをして
胸が波うった
昨日の私と今日のあなた
ここに居て
恋がはじまった . . . yokohama

アイドルからはじまった。
高校3年生の終わりにモデルとしてデビューして、
芸能界に入った。
グラビアのモデル、西武遊園地のイメージガール、
パルコのポスターやコマーシャル、
11PMのカバーガール......
ヘアメークをしてもらい、かわいい服をいっぱい着て、
水着もたくさん着た。
ニッコリ笑って、 カメラマンの前に立つ。
どんどん撮られることが好きになっていく。
ただ、露出を強要されるのだけはいやだった。
やりたくないことを、
ムリやりやらなくてはいけなかったときは、
泣きたいくらい、辛かった。
グラビアの仕事には、いろいろな要求があったから......
でも撮ってもらった自分の写真は全部好き。
ー枚一枚ストーリーがあるようで、
撮られるのは気持ちいい。
シャッターの音と心臓の鼓動が同じリズムで流れる。
レンズを見つめていると、心が集中し、
その世界に入ってしまう。
グラビア、コマーシャル、
テレビドラマといろいろと仕事をしてきたけれど
私の中で映画の世界は特別だった。
時間はかかるし、こわい人もいっぱいいるし、
でも、たくさんの人たちで、じっくり作り上げていく。
そんな映画の時間が好き。
「良いおっばい 悪いおっぱい」という映画で、
はじめて主役級の役をもらった。
たくさんセリフがあって、
まだ右も左も分からない新人の私は、
無我夢中でやった。
生理が止ってしまったほど、 緊張して、
ほんとに、ただただ一所懸命やった作品。
何度も怒られながら、けれど出来上った時の感動。
それから、
映画は私の夢になった・・・。

19歳のとき、とっても深く、痛く、熱い恋をした。
テレビや映画などの仕事が忙しく、
グラビアの仕事もたくさんあった。
そんなとき、新しいグラビアの話があり、
ロケの打ち合わせで、
はじめて、彼と出会った。
私より10歳年上で、結婚もしていて、
子供がいるようには見えない少年のような、第一印象だった。
そして、忙しかった私は、
一泊のグアムロケに出発することになった。
彼ははじめて会った日から、強引で、積極的だった。
その熱いアプローチに、私はグイグイ引っぱられていき、
二人だけで会うようになってからは、すぐだった。
会うほどに、彼の気持ちは、熱くなっていく。
真っすぐに気持ちをぶつけてくる人だった。
レギュラーでやっていたテレビの仕事の日は、必ず迎えに来る。
私はそんな彼にどんどん惹かれていった。
しばらくして、彼と一緒の仕事が入った。
バリ島へ行くグラビアの仕事だった。
彼とは出発の日の朝まで一緒にいた。
マネージャーには、内緒だったので、空港へは別々に行った。
ロケ中は、人目を気にしない彼にとまどった。

マネージャーも気がついて、
で彼とマネージャーがケンカするという事件もあった。
ロケから帰ってきて、事務所の社長に呼ばれた。
彼の奥さんから、事務所に何度も電話があったらしい。
社長は、私と彼を事務所に呼んで、話し合いになった。
私の担当マネージャーはとても熱い人で、
一所懸命な人だったから、
彼に対して許せない気持ちがあったのだろう、
話し合いの途中、マネージャーが彼にコップを投げつけた。
そんなマネージャーの気持ちと、 彼の愛との間で、
私は苦しかった。
でも、私は彼のことが好きで、彼もすべてを捨てる覚悟だった。
二人とも、もう周りが見えなくなっていた。
私は彼に愛されるほど、苦しくなっていく。
私のところに、彼の奥さんから何度も電話がかかる。
彼ともケンカになる。
それでも彼は、 私と一緒にいることを選んで、
奥さんと別れる準備をはじめた。
私は、うれしい気持ちと、なぜかつらくて毎日泣いた。
仕事に集中できなくなるほど、精神的に弱っていた。
彼は、私のために、全力で戦ってくれている。
私は彼への想いと現実との間で、身動きできなくなっていた。
彼の一途な愛が、私をどんどん苦しめていく。
しばらくして、ひさしぶりに写真集の話がきた。
今の自分の状況を変えたい、
この仕事がいいチャンスになるんじゃないかと思って、
その仕事を引き受けた。
彼は、反対していた。
ロケに行く日の朝までもめる。
ロケ先にも毎日電話をしてきて、 今すぐ帰ってこいと言う。
私は、途中で仕事を放り出して帰ることができなかった。
ロケから帰ってきて、私の家のベッドの上に、
自分の体をナイフで傷つけて、
動かなくなっている彼がいた。 死んでいるのかと思った。
傷ついている彼を見て、ショックだった。
彼の体の傷を見るたびに、
彼が日々どんな気持ちだったのか、
思い知らされていく。
私は自分のことしか考えていなかったのかもしれない。
私の中に後悔が生まれていく。
そして、ニ人の間に、
小さな穴があいてしまったような空気ができた。
二人でいても、何か淋しかった。
結婚ということに、お互い触れなくなった。
ポツンと穴のあいたようなつきあいが続いた。
そして、・・・・・・。
彼とは別れた。
私は、あのときの愛とエネルギーは忘れない。
男としてたけでなく、人間としても好きだった彼。
本当のサヨナラ。

私にスポンサーの話がきた。
あるお金持ちの人が、 私の仕事をサポートしたいと。
事務所も私も、今の状況が良くなるのだったら
チャンスだと思った。
私が迷っている間にも、スポンサーの周りの人たちで、
どんどん話が進んでい く。
事務所の社長もスポンサーにまかせることに決めてしまった。
そして横浜から、東京のど真ん中にある高級マンションの
広い事務所に引っ越し、私も社長の家を出ることになって、
東京の新しい家に住むことになった。
部屋にトイレがニつあるほどの広い部屋で庭もついている。
車も外車を買ってくれた。
私は突然、プリティ・ウーマンになってしまった。
引越ししてから数日後、体調をくずした。
仕事をセーブして、しばらくは、通院とレッスンに重点を
置くことになる。
どこに行くにも、新しいマネージャーがー緒。
ショッピングも食事もスポンサーと一緒。
ー人の時間がなくなっていった。
日に日に、何だか、カゴの鳥のような生活になっていった。
家にいても、何か、見張られているような感じがしてくる。
外に出るのも、こわくなって、
初めての一人暮らしと新しい環境になじめず、
精神的にまいってしまった。
そんな私の唯ーのストレス解消は、
夜中に一人で車をとばし、湘南まで海を見に行くことだった。
空が明るくなる前に家に戻る・・・・・・。
スポンサーの彼は、私より、ひと回り以上年上で、
やさしい人だけど、 無口で、
あまり気持ちを表に出さない人だった。
私も彼と話すのがなんだかこわくて、
いつも彼の秘書やマネージャーを通しての
コミュニケーションしかなかった。
実はスポンサーは、私に私的に好意があるようだった。
でも、どうしていいのか、わからなかった。
私は大人の中でふりまわされているようだった。
スタッフは、いろいろと良くしてくれるけど、
誰を信じていいのかわからなくなっていった。
私はどんどん精神的に孤独になっていった。
そんなとき、私の誕生日のパーティーが開かれた。
スポンサーから、たくさんの高価な花束と、
ダイヤのネックレスをもらった。
この日の花のために、花が折れないようにベンツのワゴン車を
購入したと秘書の人から聞いた。
スポンサーは、
私のことを本気で想っていて結婚したいらしいとも聞いた。
ちゃんと彼と話しをしなくてはと思った。
私は彼を誘って、私のお金で、安いレストランでごちそうして、
自分の気持ちを話し、彼の気持ちを彼の口から聞こうと思った。
でも、結局、何も聞けなかった。
仕事もあまりせず、お金と時間をもてあましていた。
そんな日々が続いて、
彼もだんだん冷たくなって、
突然、スポンサーを止め事務所もやめる、と言い出した。
私は明日までに家を出なくてはならない状況になった。
そして、1年ちょっとで私のプリティ・ウーマンな日々は終わった。
ふり返って、何か夢を見ていたような感じがする。
映画のような、"Happy End"にはならなかったけど・・・・・・。

Love, Love, Love ・・・ Ne- Ne- Chuして ・・・

1999 初夏
毎年、夏の少し前になると、海の見えるホテルに行く。
好きな人と二人で・・・・・・。
湘南の海岸沿いに建つ3階ての清やかなホテル。
ホテルの近くのマクドナルドで、
マックシェイクとチーズバーガーを買って、
ホテルの前のビーチで食べる。
午後2時のチェックインまで、浜辺で、ぼーっと日なたぼっこする。
二人でいるこんなゆったりした時間が好き。
お互い、いつも時間に追われる仕事だから、
こんな時間が好き。
海の近くにいると、私の体がやわらかくなって、 心もリラックスする。
今年はとても天気がよかった。
チェックインの時間になった。
部屋に入ると、すぐ彼に抱かれる。
頭の先から、足の先まで、感じてしまう。
とても、とても心地いい。
窓の外から、波音だけが聞こえてくる。
帰る時間も、気にしなくていい。
携帯電話のベルも鳴らない。
外が暗くなるまで、ずっとベッドでゴロゴロする。
おなかがすいたら、 ホテルのレストランで食事をする。
赤い顔をした私。
夜の散歩に海岸へ出る。
ふだん、空なんて、ゆっくり見ることもないのに、
ここにいると、月や星に見とれてしまう。
いつもより、ずっとやさしい彼。
いつもより、ずっと体温の高い私。
ホテルに戻って、ワインをあけて、飲んで、笑って、
またべッドで抱き合う。
ずーっとこのまま朝にならなければいいのにと祈ってみる。
彼の匂いが、私の体にしみ込んでいく。
目が覚めると陽が高くのぼっていた。
朝食を食べそこね、一緒にお願呂に入って、
仕度して、ホテルを出る。
ホテルのボーイさんの、「また二人で来てください」
という何げない一言がとてもうれしかった。
来年も今の彼と一緒に来れるのかな・・・・・・。
海を見ながら、ふっと考えた。

1999.9.14 TSホテルにて
天気 曇り
気温 31°C むし暑い
大正4年に建てられたこのホテルがとても好きで、
なぜか、なつかしさを感じる。
細長い窓、広い廊下、高い天井、 クラシックな匂い・・・。
ゆったりと流れる時間が、 私には心地いい。
いつの間にか、心も体もハダカになる。
ローライのシャッターリズムにのせて、心が踊った。
濡れていく体を、まかせていく。
窓の外は、太陽が出ているのに激しい雨が降っていた。
私の体温がどんどん上がっていく。
白いシーツの上で、何かが弾けた。
愛に包まれ、私は開放された。・・・20代最後の夏。

現在、タレント業と写真集などのプロデュース業をしている。
プロデュース業をはじめてから、2年ほどたった。
それは、あるプロデューサーとの出会いから、 はじまった。
その人は、 私が芸能界に入って初めての
仕事をプロデュースをしてくれた人。
18歳のとき、「将来、 この人とプロデュースの仕事を
一緒にするかもしれない」と
なぜかインスピレーションを感じていた。
今でも、ハッキリ覚えている、
初めて顔合わせした青山で・・・。
それから、7、8年たって、
「このまま、タレントを続けていこうか、
このままでいいのか?」と悩んでいるとき、
ひさしぶりに、あのプロデューサーと会うことになった。
それから、仕事の相談をしたりするうちに、
その人の仕事の方も少しずつ手伝うようになっていった。
初めは、とまどった。
今までは、誰かが何でもやってくれて、
それがあたりまえの状況だった。
今度は、モデルのこと、スタッフのこと、
自分でいろいろと考えて、やらなくてはいけない。
でも、私にとってはすべてが新鮮で勉強だった。
そして、いろいろな才能と出会う。
表現する側、 表現をサポートする側、
ー人一人の才能が集まって、一つのものができる。
プロデュースの仕事をすることによって、
今まで知らなかった角度から、物事を見ることができる。
だから、タレントとしても、プロデューサーとしても、
両方にプラスになるように、がんばろうと思っている。
この本も、
タレントとしての私と、プロデューサーとしての私が、
悩みながら、楽しみながら、作った。
my self produce !
新たに始まる卒業として・・・
自分が自分自身へのスタート

いつも何も言わずにいてくれて・・・
中学生で補導されたとき、
何も言わず、迎えに来てくれた。
芸能界に入るときも・・・
きっと心配だったに違いないけれど、
何も言わず、応援してくれた。
恋に悩んでいるときも、何も聞かず、見守ってくれた。
私が、元気でいることが、
ママへの恩返しになるのだと・・・・・・
ありがとう・・・

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