巻頭の日野繭子のグラビアで10回ぐらいオナニーコキました 吉田拓郎と根岸吉太郎のチンポ味わった森下愛子エロいね
この夏熱中ディスコでフィーバーしよう!!ディスコと演歌で19分 自主映画の記事もマスマスマスマスノッてますし
LIP川島なお美 永谷園 北島三郎と和田アキ子が不倫するドラマ
堀井雄二のテレビ批評 堀井憲一郎のような 当時のクイズ番組が放映中のブラウン管液晶を激写した原始的キャプチャ記事も貴重
快楽亭ブラックの連載はつまらん!小川恵の連載は生きろ!久保新二の連載サイコー!
はっきり断言していいと思うのだが、プロの評論家の99%までは、ピンク映画を見ていない。
したがって、当然、彼らにはピンク映画の批評などできない。これは決して批難するつもりで言っているわけではない。
事実を言っているだけだ。第一、例え映画好きが昂じて評論家の道を選んだ人たちだと言え、
数ばかり多い愚作プログラム・ピクチャーにつき合っていられるほど先生方はヒマではないのだ。
皮肉を言ってるわけじゃない。事実、ピンク映画を見ていると腹が立つ。やめてくれと言いたくなる。
しかし!いいのがあるんだよ、中には。年に1~2本は、もの凄い作品にぶつかることがある!
そうしたピンク映画を、気の毒なことに、評論家諸氏は見ていない。では、誰が見ているか。
オレがワタシがキミがアナタが見ているのだ。これは我々観客の特権じゃないか。
”証明”や”寅さん”は、猫も杓子もみ~んな観る。ピンクはワレワレしか見ない!
そこで、だ。ピンク映画を評論できる立場にいるのもまた、ワレワレだけなのだということに必然的になるわけである。
ピンク映画を真摯に評論の場にとり上げることは、正直言って苦しい作業だ。
何故なら、前述の通り、ほとんど愚作ばかりだからだ。反省をこめて言えば、わがエロ雑誌業界と同じく、
大股開きのハダカを羅列しておけばとりあえず商売になるという、そんな映画が大半を占めている。
これを真摯に評論するとなると――。
が、最近の本誌投稿欄に見られるように、若い読者たちによるピンク映画への取り組み方には、ある力強さを感じる。
楽あれば苦ありと言うが、この場合は逆だ。
苦痛を経験した者のみが知る感動、愚作を見せられ続けた後に発見した感動作――ハハッ、恥ずかしいから、もうやめる。
長編を期待したい。少なくとも400×20枚ぐらいの評論を寄せて欲しい。
ピンク映画評論の”ニュー・ウェーブ”とでも呼ぶべきものを、できれば巻き起こしたいと思う。
したがって、不遜だとは思うが掲載するかどうかの選考もできるだけ厳しくしたい。
傑作でさえあれば随時掲載していくつもりなので、締切りは設けない。